​About Us​

蒲郡市西浦町のピアノ音楽教室です。

4歳から大人まで個人に合わせたパーソナル​レッスンをしています。

お子さまに合わせた伸び伸びとしたレッスンで学校音楽の成績もUPするピアノ教室です。

マンツーマンで行うため、お子さま1人1人に合わせた、伸び伸びとしたレッスンを受けられます。

​集中力を養う習い事としても人気です。

個人のレベルに合わせたピアノレッスンやヴォイストレーニングも受けられます

大学生の教員免許取得、保育士、幼稚園教諭になりたい方のためのレッスンも人気です。

キッズ向け ピアノ音楽レッスン

大人のための 音楽レッスン

 

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​講師紹介

​プロフィール

峠 美由紀

名古屋音楽大学  ピアノ専攻卒業。

中学校・高等学校教員免許取得。

ドンネコンチェルト結成し、歌、ヴァイオリン、ピアノのメンバーでコンサート活動をする傍ら、蒲郡少年少女合唱団を立ち上げ、指導者、ピアニストとしても活躍中。

学校教育に関わった経験を最大限に生かし、学校音楽の成績もUPするレッスンを行っています。

●ピアノとの出逢い

1975年、蒲郡市に生まれる。

近所に新しく「ヤマハ音楽教室」が開講すると母が聞き、5歳からヤマハ音楽教室の幼児科に通ったのが私の音楽道の始まりです。

 

大家族の中で育ち、長女として生まれとても厳しく育てられたこと、両家の祖父が喜んでピアノを購入してくれたこと、母が毎日の練習に付き合ってくれていたこと、厳しくて怖くて、ものも言えなかったピアノの先生との出逢い。それらがあったからこそ、現在の私があると思っています。

 

●本格的に習い始めたピアノ

ヤマハ音楽教室から個人の先生に就いたのは小学3年生。

先生は武蔵野音大を出られて、何十人も生徒さんがいたバリバリのお教室。発表会でもプログラムは名曲ばかり、そして殆どの生徒さんが優秀。先生もプログラムの最後に必ず名曲を弾いてくださった発表会。そして、地元の音楽サークルGMTC(蒲郡音楽指導者サークル)に所属され『名曲コンサート』に毎回出演。華やかでとても魅力的なステージを見て私もいつかこういうステージに立ちたい!!という気持ちが芽生え今までとは、訳が違うと、子ども心にそう感じたのを記憶しています。

先生はとにかく厳しく、2度同じ間違いをすると合格はもちろん無くどん底に落ちるほどの叱りを受け、ダメ生徒のコンプレックスを持ち始めました。

ただ、ピアノを弾くことが大好きだったので辞めるという選択肢はなく、お陰で?

忍耐力もつきました。

 

●学校生活

小・中学生時代はよく笑い、前向き。ピアノ教室では自信が持てなかったピアノも学校では、伴奏者として選出されたり、合唱コンクールでは毎年ピアノ伴奏者として、とても充実していました。また生徒会役員を務めるなど、他の生徒をまとめたりリーダー的なことも引き受けていました。中学3年生の時には模範の生徒に贈られる賞をいただけました。

高校生では、これからの進路をどうしたいかと考えた時、厳しくても憧れの存在だったピアノの先生のようになりたい一心で音大受験を考え、先生の師である静岡県清水市の先生の所へ新幹線に揺られレッスンに通う日々となりました。

 

●第一難関

音大を受験すると決めて、母はもちろん応援の態勢ではあったけれど父に話をしたところ、猛反対!!

『なぜ、普通の大学ではなく音大なのか?』と問いただされとにかく徹底的に反対。

当時高校の担任が慌てて家庭訪問までしてくださって、父を説得。

私は、『こうなったらとにかく練習して、その姿を見せるより他はない』と強い意志を持って猛練習!土日祝、休みなんて無く病気以外練習、ひたすら練習・・・

 

そして一つの条件が出ました

『愛知県外はあり得ない。愛知県内で推薦入試の一校受験のみ。それで合格であれば

認める』

正直、何で直ぐ下の弟には東京が許され、私は県内?そして一校だけ?と悶々としましたが条件が出ただけでも良しとし、この条件に奮起。

そこから名古屋音大の推薦枠での受験を決意し、猛練習の日々となる。

音大を受験するには、弾く曲だけではなくソルフェージュや楽典の理論の勉強も追加で

清水、蒲郡、ソルフェージュの3人の先生に師事した。

コレしかないというプレッシャーや、レッスンで極度の緊張、慣れない通塾、まん丸だった私はみるみる痩せていった時代です。

 

●難関突破

当時合格発表の第一報が、中日新聞の地方欄に各大学の合格者が掲載されていた。そこで、合否を知ることとなった私は、ピアノ先生と朝刊を早く見た方が連絡するという約束をして、朝を迎えたがピアノの先生の方が早く朝刊を受け取り先生からの電話で、『載っているわよ』の言葉に涙が溢れました。自分の人生がかかった瞬間だけに、嬉しさと今までの出来事に泣け、学校に目を腫らして行った記憶が懐かしいです。

しかし、最後の難関が待っていたのは父への報告。本当にどうなってしまうのかな?と震えましたが、合格を伝えると今度ばかりは反対されることなく音大進学を許され、力が抜けた瞬間、4日間の高熱。相当気力、体力共に使った受験でした。

 

●人に恵まれた大生活~卒業後

憧れていた音大生活は、さぞかし音楽三昧の授業や日々か・・・と期待していたものの、少々ギャップがあり困惑したこともありましたが、友人や先輩も良く、とても楽しい日々。先生の門下生によるコンサートなども経験させてもらえました。また、声楽家の伴奏も大学に入ってから初めての経験でした。

卒業してすぐに、地元のピアノの先生が所属していた幼い時に憧れていたGMTCに所属させてもらい、名曲コンサートに出演できるようになりました。

ソロや連弾の曲をたくさん勉強させてもらえました。

 

同時期にピアノ教室を自宅で開室。

卒園した幼稚園の園長先生のお声がけあって「光の園幼稚園」でピアノを教える。

音楽事務所にも学生の時から所属しており、ホテルアソシア豊橋にも婚礼の音響として

務め、休み無くフル回転しても楽しい日々でした。

●卒業してから5年後に転機、学校教育の現場へ

教員免許も取得したので音大を卒業して直ぐに、学校という現場でも教えてみたい!と

講師登録をしたものの当時は、講師の枠がなく何年も待ち状況でした。

そんな時、ダメ元で今一度覚えてもらうためにも履歴書を出しに行こうと決意して行き面接をしてくださった教育委員会の課長さんに、その後大変お世話になる校長先生となりました。

現場でその校長先生が

『あんたを見て、話を聞いていたらものすごい情熱を感じたからあんたに決めた!!』

と、仰ってくださいました。

翌年から講師の採用が決まり、初任校は小学校の非常勤講師で音楽専科。

次年度は、あの面接してくれた校長先生の中学校へ配属。常勤講師として勤務。

中学校へ勤務する時に、「声楽も中途半端では中学生に教えられない、中学生は合唱コンクールもあるし私も本格的に習おう」とまたまた奮起して、声楽もこの頃から習い始めました。

その後、結婚、出産、夫の転勤で非常勤講師、常勤講師とその都度変わっても蒲郡市、岡崎市と2市通算で10年間学校教育に関わる。

この小・中学校勤務がとても勉強になり、学校教育の現場で培ったものが、ピアノ教室にも反映できるようになり、それが私の教室の強みでもあります。

「歌にはメッセージがある、それをどう表現して届けていくか?」を常に追究して目の前の生徒たちと楽しみ、励まし、時には本気でぶつかり合う中で「私は教育に関わることは好きなんだな」と感じました。

 

●病気をして気付かされたこと

結婚→子育ての間に、原因不明の病気になり入院した時、自分の中から沸々と沸いてくるものがあった。

『私は、このままで良いのか』

『このままでは終われないし、やりたいこともある。とにかくやってみよう』

と決意した時に偶然の出逢いがありました。

知人の紹介で日本の童謡・唱歌の普及活動している大学の先生と出会い、丁度子育て中というジャストな時でもあり童謡・唱歌にもとても興味があったのでその先生の所でお世話になり勉強させていただきました。

先生から学んだことの中で、その曲がどのようにして生まれたのか、メロディの裏側には何が隠されていたのか?を知る必要があると教わりました。

詩人「金子みすゞ」の世界を感じるために、山口県に出かけみすゞの育った町並みや学芸員の方に話を伺ったりしより深めることもできました。

この学びを、次世代の子どもたちに口承していくことやコンサートを通して伝えて行くことも音楽家の役目ではないかと感じました。

 

●念願の初コンサート

勉強を再開して1年後、東日本大震災が起き、私にも何かできる事は無いだろうか。と考え地元で音楽活動をしている友人に声をかけ『ドンネコンチェルト』というグループを結成し、第1回目のチャリティーコンサートが開催できました。

そのコンサートは、学んだ童謡・唱歌の中から東北にちなんだ作詞・作曲家の曲を集め、その曲の裏側を解説しながらの演奏と、その音楽を聴いて感じたままに絵に表現する事ができる方との「音と絵のコラボレーション」が実現しました。

集客率がよく、400近くのチケットが売れ、売上を震災からの復興に寄付することができました

 

●蒲郡少年少女合唱団の設立と指導

故中田喜直先生と交友が深かった童謡・唱歌を教えてくださった先生の元で、中田先生を讃えるコンサートが毎年名古屋で行われていた。

『コンサートを蒲郡で開催してみないか?地元で合唱団を作らないか?』と問われ、そこから一気に話が進み、子どもたちを集め合唱団が2014年に誕生しました。

中田先生の奥様で声楽家の中田幸子先生にも作曲した当時のことや、裏側を伺うことができ、蒲郡での開催がちょうど終戦70年を迎える年であったため、戦争に関わる音楽劇も上演、会場は立ち見が出るほどの動員で好評を博した。

その後もコンサートだけではなく、市内のイベントや施設訪問、ボランティア活動等、地域に根ざした活動を続けており、ライフワークの一部にもなっています。

 

●運命的な出逢い~現在

必要な時に必ず人やモノとの出逢いがあります。

『童謡・唱歌だけではなく、クラシックももっと勉強したい』と思い始めた頃に

また知人を介してある先生を紹介して頂いた。

その先生のコンサートに誘われたのが運の始まりで、私の中での憧れキーワード(留学、ウイーン、室内楽など)をたくさん兼ね備えていらっしゃる先生で、笑顔がとても素敵で、軽やかに弾きこなすのはもちろんのこと、綺麗な音に吸い込まれ、室内楽をこんなにも楽しく演奏できるなんて・・・「私もこうなりたい!」とまたまた憧れの的になりました。

毎年、ウイーンへ定期的に留学され、ウイーンでもコレペティトウアとして活躍されていた先生の元へ翌月からレッスンへ通うこととなりました。

昔から『こうなりたい!』と思うとそのように叶っていることもあります。そこは運の良さに感謝しています。

実際、レッスンを受けてみて手首の回し方、脱力・呼吸法、椅子の高さから変化し目から鱗状態のレッスン内容

そして、今までに弾いたことがない曲や声楽の伴奏、室内楽の経験もさせていただけ

音楽ができる喜びを改めて感じました。

先生は『大丈夫、あなたにはできる!さっき弾いたのとは別人が弾いたよう』と

子どもの頃にはかけてもらわなかった言葉をたくさんかけてもらい、初めは何だか恥ずかしくなりましたが、でもその言葉が本番の時に勇気に変わることを経験しました。

『もっと早くにこの先生に出逢いたかった』と思っています。

 

そして、声楽家の伴奏の仕事が増えたり、コンサートの本番が増えたり、自分が本当にやりたかったことを現実化できたのも、過去の経験があったからこそと今では思えます。

自己肯定感をなかなか持てなかった若い頃は長く苦戦し、楽しい!!と感じることや充実感を味わえたのは人より遅いかもしれません。

しかし、どんなことにも時期があると思います。

生かされていることを忘れず、今後もさらに精進し、ピアノ教室に反映していきたいと思っております。

みゆきピアノ音楽教室

住所

愛知県蒲郡市西浦町堂前33-1

ユトリーナ近く

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